十円均一

ワンコイン怪文書置き場

ソリタリーという言葉を知った

アバン

人の世はかくも生きづらい……とは草枕にて夏目漱石が語った言葉であるけども、最近はそれをしみじみと感じます。
自分の場合、生きづらさを感じて何をするかというとネットサーフィンです。
廃人の道まっしぐらでありますが、応急処置としてはごくたまに功を成すのです。
これは本日また「生きづれえ!」と感じて検索した結果の記録となります。

「友人居ない 楽」検索!

さて、先日転職の面接を受けまして、無事内定のご連絡が来ました。
正確には合格の案内なのでまだ内定ではないのかもしれませんが、細かいところは行間を読んでいただきたく。
で、ひとまず家族に報告しました。
父と母はゆるやかに喜びつつ、姉は電話をしてきました。
文字のやり取りより手っ取り早いのでしょう。

「同期とか、誰かに(転職のこと)言ってないの?」
「今の職場に未練とかないの?」

と姉は聞いてきましたが、正直どうしてそんなことを聞くのかわかりませんでした。
というかその質問を聞くのが純粋にしんどかった。

「普通の人は同期に相談するもんだよ」
「何年も勤めていたら未練とか残るはずでしょ」

のようなことを暗に言われている気がしたからです。
人間関係が薄っぺらい自分は、特別仲の良い同期も上司もいなかったので、しんどい職場から離れられてラッキー! しか思えませんでした。

そして数日後に、自分やっぱ他人と関わらないからダメなんちゃう……? というネガティブを発症しました。
いやいや、自分はHSPとかナントカで、もともと友達つくらないほうが楽なんやー! と、その同志や根拠を探すべく「友人居ない 楽」で検索をしました。
結果はタイトルの通りで、ソリタリーという言葉を知る機会を得ました。

偉人は群れない

要約すると数年前の某テレビ番組にてソリタリーという性質が言及されたというブログを見つけました。
著作権とかなにかあるのかもしれないので直接ブログのURLを張ることは避けます。
検索ワード書いてるので気になる方は検索して探してみてね。
で、生物学だと進化の過程でソリタリーは重要だという見方がされているらしい。

その番組を又聞き(又見?)した知識だけでソリタリーとはなんたるやを詳しく調べてはいませんが、スッと心に入ってくるものがありました。
これまた専門書でなくて申し訳ないのですが、以前「他人と関わる人」と「一人でいる人」の違いでしっくりくる文章を読んだことがあったからです。
というわけで記憶を掘り起こしつつ独自の解釈をまとめます。

他人と関わる人

SNSで知り合いが何をしているかを見る/知る
SNSで自分の情報を発信する/会話をする
・人の悩み相談やその背景を聞いて一緒に悩む
・休日は複数人で遊んだり食事をしたりする
・次また遊ぶ約束なんかをして帰る

ここまで書けば反対の人のことを書くまでもありませんよね、と思ったので「一人でいる人」のパターンは省略。
こうして書くと顕著なのですが、他人と関わる人は常に誰かのために時間を消費しています。
好きでやっていることだと思うので消費という言い方は偏見かもしれませんが。
しかし極端なことを言うと、人とあれこれ話したり騒いだりするのが楽しいとしても、それで得られる知識はないのです。
……もちろん、勉強会とか学会とかそっち系統の話題は除きます、というか、そうなってくると知識の獲得が先行してくるので、もはや人と学ぶというより、人はおまけになっている、という気がしなくもありませんけど。

人間、知識を求めるために生きているわけじゃないということは重々承知です。
でも、毎回同じ人と会って、毎回同じような過去の話をして、毎回同じ職場の愚痴を話す。
これって、楽しいかもしれないけれど、結局は同じことの繰り返しだと思うのです。
毎回会う人が違う! だから楽しいもん! って人はそのアクティブさを大事にしてほしいですし、この文章を読んでなどいないでしょう。
さすがに毎回同じ人は言い過ぎにしても、友人とタグ付けして恒常的に関われる人数なんてたかが知れていますよね。
遊ぶという行為は結局のところ、過去の掘り起こし作業に近いのだと思います。

とまあ批判気味に書いてしまいましたが、当方に人の好きなものを否定する気はありません。
ただ、歴史上偉人と呼ばれる人々は人づきあいが得意な方ばかりではなかったことも事実です。
例がないと妄言に思われるかもしれませんので少し名を出すと、芥川とかバッハとかテスラとかですかね。

偉人ってのはなりたくてなるものでもないと思いますので、要は結果的にそういった人が偉人と呼ばれるようになったのでしょう。
なので没した彼らが称えられているのに、今現在一人を好んで過ごす我々が懐疑的な目を向けられるのは如何なものかと思うわけです。
彼らが称えられているのは性格ではないので、ちょっと的はずれな主張なんですけども。

そういうわけで、一人が好きっていうのは偉人と同じって解釈も出来ると思うのです。
ものすごく曲解ですけど、全くウソではないはず!

ソロ活という言葉もある

ソリタリーという言葉は人の性質を指すようで、どちらかというとHSPとかスキゾイドとかその系統の枠にはまるのではないかと思っています。
ぶっちゃけすごく興味が沸いたので、近々で生物学の本を読んでみたいと思っています。
知識は自分を裏切りません。そして安心できる。いいですね。
新しい系の本、というと語弊がありますが、エッセイのような解説本は(当たり前ですが)作者の主観がばりばり入ってくるのでちょっと読むのに抵抗があります。
なんか、表紙とかがゆるいイラストのやつは特に。
これは当方のまごうことなき偏見なので、無理しない範囲で開拓したいと思います。

で。
ソリタリーの話に戻りますが、昨今は繊細さんの本やら人付き合いがどうのという本やらがわんさか出ています。
背景としては、そういった「生きづらい」人が世に認知され始めているからだと(あるいは金になるからだと)思っています。
中には経験則を生かした「ぽい」ことを語る本が出たりして、アマゾンレビューで専門知識がないとぶっ叩かれたりしていますが、需要があるから本が出たと考えると、レビューを書いた人は残念ながら顧客ではなかったということですよね。
買うまでそれがわからないのが辛いですけども。

ドラマ化された「ソロ活女子のススメ」も、今でこそ周囲から憧れや同意を得られるジャンルなのだと思います。
おひとりさま、という点では「孤独のグルメ」も同じかもしれません。
ただ、認知され始めているだけで、「一人が好き」というソリタリーな性質は依然としてマイナーでしょう。
今なお義務教育で軍事訓練に近しいものを行っている我が国では、古くからの慣習や思想は根強く残るものと思われます。
とはいえ、己を知ることは、大衆から張られるレッテルを「それはそれ、これはこれ」と切り分けが出来ることにつながると思っています。

当方は昔、「自分は身体障がい者かもしれないけど、それを知ったところで周りにそれを配慮してほしいと思えない」と己を知ることに否定的でした。
でも自分を知ることで楽になるのは自分だと思います。
そりゃ可能なら配慮してほしいし、ほっといてほしいですけど、自分以外全員脳みその違う他人なんだからそんなことは荒唐無稽です。

なので自分を知ることは、
この人は自分と違うんだな、
これは「Not for me」なんだな、
という確信を得て、なおかつ大衆との確執から己を解放できるリーズナブルな手立てだと思っています。

総括

なんだか長々と書いてしまった。
いろいろ書いたけども当方は専門家でもその道に詳しい人でもなんでもないので、話半分程度に読み流して欲しいです。
とはいえ自己の意見を文字にまとめるとやはりスッキリしますね。
しかしどうにも抽象的な表現が多いのが身に染みたので、もう少し参考となる専門書でも読んで、さくっと一例が抜き出せるようにしたいと思います。

目下の目標は一人が好きなのにSNSをやってしまう矛盾をなんとかしたいということですね。
件のブログを見て強く思いました。
長々と語るならブログのほうがマシ!
いやはやしかしもっと読書家になりたいものです。

以上!