十円均一

ワンコイン怪文書置き場

一本道ノベルを自分向けに噛み砕く

アバン

色々あって、ノベルゲーというか、ゲームについての自分の中の定義を固めたいなと思いました。
創作活動をするなかで、ゲームという形態で作品を作っている十円ですが、その実超ゲーマーというわけでもないのです。
マサラタウンから旅に出たりイザユケボウケンジャーしてhageたり、あとは有名どころを少しぽちぽちしたくらい。
手始めにノベルゲーという、真剣にゲーム作ってる方には申し訳ないレベルで色々勤しんでいるわけですが、ゲーム性のないものをゲームとして世に出すのはいかなものかと思ったわけです。
なので素人目線&十円目線でネチネチ考えてみます。

受動的なコンテンツと能動的なコンテンツ

まず初めに、十円は動画を見るのが苦手です。
嫌いではなく苦手なのです。
アニメや特撮ドラマを見るのは好きだけど、なんだかムズムズしてしまうのです。
見ているあいだ、自分はじっとしていなければならないという感覚があるからです。
この感覚はある種「集中出来ていない」とも言えますが、その感覚自体は動画を見る前からあります(?)。
つまり、そういったものを見ると、「時間がもったいない」と感じてしまうのです。

こうなるのは総じてその媒体が受動的なコンテンツだからだと結論づけています。
テレビの中には視聴者参加型ホニャララなんてのもたまにはありますが、十円は基本的にそれには参加しないし、参加したとしても介入した意思が希薄なので今回は考えないことにします。
話を戻して受動的なコンテンツの話ですが、これらの反対が能動的なコンテンツとなります。
十円は、ゲームのことを能動的なコンテンツと捉えています。

マンガや小説も、ページをめくるというアクションがある点で能動的です。
ただし中身に関しては一切介入出来ないので(作品を読むことしか出来ないので)、その点は受動的であると考えています。
ページを巡る部分が能動で、ページの内容を読む部分が受動。
ガバガバ判定っすね。

反してゲームに関しては操作し続けない、という意味ではかなり能動的なコンテンツだと考えられます。
(今回話すゲームは、総じてコンシューマー及びコンピュータなどの機器を用いた娯楽とします)
ゲームもテキスト読むじゃん的な意見に関してはもちろんYESですが、その受動的な要素に関して能動的な部分(キャラを操作、装備を選ぶ、次の攻撃を考える、セーブをする、など)が多いはずであると考え、ざっくりと能動的であると定義しています。

さて、ここでもう少しゲームのジャンルを絞ります。
ゲームはゲームでも、今回はノベルゲームないしアドベンチャーゲームに関して話を続けます。
十円は、後者はともかく前者は果たして能動的なコンテンツなのだろうかと頭を捻らせている最中です。
ガバガバがグサグサと来るターンです。

ノベルゲームのゲーム性

世の中には、ノベルゲームはゲームとしてカウントしないと主張する人々がおります。
十円も、ノベルゲームってゲームなの? と疑問は抱いていますが、有名どころ(Fateとかシュタゲとか)は少しかじったこともあり、アンチというわけではありません。
それぞれアニメ作品から入ったので、邪道な入門である事は承知の上ですが、それらのノベルゲームはいずれも面白かったです。
……面白かったのですが、ゲームとして面白かったかと問われると、言葉に詰まります。
ストーリーとか演出とかが面白かったと言わざるを得ません。

そもそも、タイトルにあるような一本道ノベル云々について考えたいと思ったキッカケが、何を隠そう「魔法使いの夜」(以下まほよ)の映画化発表でした。
その作品は名前だけ知っていて、てっきり同人作品かと思ったけどPCでも出来るのかーいつかやろうかなー、と月姫をぽちぽちしてたら映画化発表からのAmazon在庫切れです。
めでたくまほよ難民の仲間入りとなりました。
ひっそり移植を期待してましたがそんな進捗も聞こえないので、虫が良すぎたなと正座してます。

まほよは映像作品として高い評価を得ている反面、選択肢が全くない、所謂一本道ノベルらしいのです。
感想をやんわりと検索すると「映画みたい」「超動く」「映像綺麗」と、ノベルでありながらビジュアルもいたく絶賛されております。
いや、ジャンルはビジュアルノベルなんですけど。
作品を作った方も、メディア化を目指していない=ゲームで完結している旨の発言をしており、それ故に映像作品もびっくりな演出もりもりな作品が出来たとかなんとか。

ただ、それなら最早ゲームではないのでは? と思ってしまう人間がここにいました。
形態としてノベルゲームのかたちをしてはいても実質映像作品であるなら、それはいたく受動的なコンテンツで、能動的な要素などないのでは?
失礼を承知で言いますが、アニメを作るより小説を作る方がコスト的にも速度的にも何百倍も早いはずです。
そんでもって、小説に映像を付けたいからという意味でスクリプトを組んでゲームに組み込んだのだとすると、それは果たしてゲームなのかと思うわけです。

Wikipediaで調べると、ビジュアルノベルはノベルゲーの一種だと出ます。
当たり前の話ですが、ビジュアルノベル電子書籍ではありません。
電子書籍というものは定義が固まっているもので、ビジュアルノベルはその定義に収まらないものとされている……のかな?
明確な分け方がそうなのか分かりませんが、大体そんな感じだと思います。
まあそもそもゲームだし。

話を戻しますが、まほよはとてもすごい演出もりもりストーリーごりごりな一本道ビジュアルノベル(未プレイ者の見解)であり、そこにゲーム性はありません。
すなわちゲームでありながら受動的なコンテンツとして成り立っているのです。
十円的にはこれがどうにもモヤモヤするわけです。
ゲームじゃないのにゲームと名乗る点、しかしながらその話は面白い。
電子書籍でええやんと言いたいわけではなく、それをゲームと分類されることにもやんもやんとするわけです。

フリゲにも一本道

ノベルゲームコレクションというサイトがあります。
ティラノほにゃららという、ノベルゲーム制作に特化したツールで作成した作品限定でゲームを投稿できるサイトです。
ここにはたくさんのフリゲがあります。
ノベルゲームじゃないのもあります。
ただ単にJSでゴリゴリしてる作品もあります。
けれどもこのツールを使えば、割と簡単にノベルゲームが作れるわけで、すごい人は何十作品とぽんぽこ作品を公開しているわけです。

十円も物語を考えることは好きなのですが、ゲームとなるとゲーム性が必要なはずで、そうなるとなにか要素をいれないといけないと考えてしまうのです。

と、長らくうんうんしてた矢先に「見るゲ」なるジャンルを知る十円。
混沌が混沌を呼ぶぜ!
知っただけで遊んでないんですけど(遊びたい気持ちはあるけどプレイ時間的に手を出すのに戸惑ってしまう)(クズ)、これはプレイヤーは何をするのだろうと思ってしまう。
おそらくは「ゲームツールの表現に特化した映像作品」だろうと定義して話を進めます。
たしかに、ゲームによっては歩く度にイベント、イベント、イベントというイベントのために探索するというリモートコントローラープレイを強いられる作品がなくもない。
探索ADVってそんなもんかもしれませんけど、場所が変わるだけで話が進むのならノベルでもいい気がしなくもないやつです。
これは自分にケンカ売りまくってますね。

全然話まとまりませんな!
とりあえず、そういう作品があるという話を今しています。

ゲーム性は求めるものなのか

色々他の人の文章とかも漁ってはいるんですけど、今のところすとんと落ちるモノはありません。
強いて言うならノベルゲームと小説の違いは「プレイヤーか読者か」の有無。
能動的受動的と同じ内容ですけど、ゲームと称するからには遊ぶ人は「プレイヤー」なんですよね。
であれば、自分がこの作品に介入出来るものと大なり小なり思ってるはず。
しかし一本道では自分のタイミングでページを捲ることしかできない。
……うーむ、ページを巡るのはゲーム性ではないと思うのでやはりもやもや。

そもそもの話として、ゲーム性は必要なのか問題もあります。
見つけたまとめにはゲーム性って嫌な言葉ーと語っているものもありまして。
やはりノベルゲームでプレイヤー介入出来るものとしては選択肢しか考えつかないんですよね。
ただこれもストーリーの流れによってはただのボタンと同じだし、仮にストーリーの展開が気になったとしても2週目以降は同様にボタンと化するなあと。
であれば、十円が考えているゲーム性というのは「選択基準が明確なブラックボックスがある」ということかもしれない、と噛み砕いて休憩。
ノベルゲームにそれは難しいのでは???

そも、ゲーム性ありそうな部類としてSTG、ACT、パズル、RPGをあげます。
これらは(異例な仕様でない限り)ボタンを複数使うものです。
ジャンプする、方向転換する、ガードする、ピースを選ぶ、カードを選ぶ。
対してノベルゲームは基本的にAボタンで決定決定決定するだけ。
(セーブとかバックログとかは一旦無視するとして)
ボタンの選択肢がない時点で、ブラックボックスではない=決められた道を進むだけ=大なり小なりプレイヤーに先が見えてしまう、という実はそれほどプレイしてる感ない説が出てきます。

でも、たぶんノベルゲームは小説でもないしマンガでもないし、なんだか微妙なよくわからん枠組みに位置すると思うのです。
だとしたらゲーム性を考える時点で誤りなのかなあと……。
ゲームという言葉は娯楽という意味がありますし、作者たちの表現を娯楽として体験するという捉え方がベストなのかもしれない、と無理やり話をまとめようとします。
そもそも型にハマったものを電子署名、型にハマってないものをビジュアルノベルにしてるという点で、不定形な創作物であることは確かなんですよね。
であれば存在そのものがゲームであってもまあ……おかしくは無いはず。
うーん考えるのめんどくさくなって来てるね!

電子書籍以上映像作品未満

強いて言うのなら、映像を通して追体験出来る作品がノベルゲームだと思いました。
ノベルと同じだけど、ノベルはページ捲るだけ、挿絵は毎ページないし音もならない。
映像作品は音も流れるし動くし、字幕もつければつくけど、黙ってても進む。
両者を掻い摘んだキメラがノベルゲームとするのが個人的な着地点かなと。
ノベルじゃなくて、なんちゃってノベルていうか、ノベルもどきというか……。
ノベルに対してセーブロードとか立ち絵とかスクリプトとか付けちゃった、リモコン付きのミニマル映像作品風な……何か。

そう考えると文字だけのビジュアルノベルってなんだよ! ですけど、文字だけだとしても背景とか音とかあると思いますし、その場所その場面で音と映像を選ぶことに意味があるとすれば、それはただのノベル以上のノベルではない何かになるはず。
作者のお遊び=ゲームなんだと考える方がまだマシかなと……。
お遊びっていうと怒られそうですけど、ノベルゲームは空想のキャラと舞台を動かしてなんじゃらほいするものだと思っているので、ここでいうお遊びとはそういう「空想遊び」みたいなことです。

故に結論はびみょいですが、落とし所はどう足掻いてもこの辺になりそうです。
枠にはまらない、作者の空想を追体験できる創作作品がノベルゲーム。
これは十円の定義なので異論は認めます。
たぶん終始同じ話しかしてなかったですね!
ノベルといいつつ、ツールによっては色々な表現が出来るので、そういうとこはブラックボックスかもしれない!
思い出したかのように撤回発言をするな!

総括

ダメだグダグダだ……。
遊んだことも無い作品にケチつけてるクソゲーマーになりたかったわけじゃないんです……。
ただ、ゲーム性求めて選択肢を入れたクソゲームを作ってしまったなと我に返るフリゲ製作者だったんです……。

結論で述べたように、型にはまらない云々がゲームたらしめる部分でもあると思うので、今度からノベルゲーム作る時は、なんというか斬新さとか求めずに作りたい。
タイミングと素材を合わせれば、どう足掻いてもオンリーワンにはなってしまうからね……。
個人的にはノベルゲームじゃなくて探索ゲーム作りたいからそのへん早く何とかして欲しい。

以上!